ayagaki.jpg

新着情報

バナー

八幡の郷サンホール

Home 八幡小学校の歴史
八幡小学校の歴史
記事インデックス
八幡小学校の歴史
八幡地区古老座談会
付録
すべてのページ

八幡小学校の歴史

はじめに

江戸時代までは、士農工商と言われ士は学問ができるが、農民は学問を禁止されていた。農民は農業のことだけ知っておればよいと言う事であったと思われる。 幼いころから親の手伝いをしながら農業を学び家を継げばよいとの事であった。次男、三男は農地を少し分けてもらい小作をしたり、手伝いに行って生計を立てていた。工、商も同じような事であったと思われる。

しかし、江戸末期頃から寺小屋が開かれるようになった。

寺小屋の始まり

幕末の頃から森藩領の中では山下、綾垣の寺小屋が記録に残っている。山下は農家の衛藤庄三郎、綾垣は養専寺住職の松富仙翁が教えていた。当時、一般庶民の中でも庄屋、医師、僧侶、宮司は手習教育を受けなければならなかった。綾垣の寺小屋の松富仙翁については、松富姓は綾垣玉林寺の先祖が称していた。

【豊鐘善録】によれば、江戸時代の初期以来同寺には学徳兼備の禅僧が、度々住んでいたため寺小屋を開く条件が整っていた。生徒の数は、山下十二~三人、綾垣六十人と記されている。山下の衛藤庄三郎は末松家の先祖であった。末松家は元医師で伊藤姓を名乗っていたが、師匠の筑前秋月の医家から末松姓を貰った。

綾垣浄勝寺の由緒書には「八代目住職律恵水崎西光寺より入寺、二十数年にて本堂落成。九代徹照は学者にて所代数十名入門せり。学寮建築を企てるが、三十六歳を一期として還化せり」と記されている。文化、文政の頃律恵、徹照の二代に渡って私塾を開いていた。

明治以後の八幡小の学校の歴史

明治  元年

四年 大分県誕生

五年 学制が公布される。

八年 この頃(八年~十年)、山辺小学校創設される。

十二年 教育令公布 六歳~十四歳まで義務教育は最低十六ヶ月とされていた。

十四年 教育令改正 義務教育三年となる。

十六年 国民教育確立 教科書が届け出制から認可制となる。

十九年 小学校令公布 山辺簡易小学校併設

尋常科四年、高等科四年となり学齢は六歳~十四歳、四年までが義務教育となった。簡易小学校とは村落小学又は貧人小学校で巡回小学、小学教場等の系譜を引く学校修業年限は三年で、読書、作文、習字、算術の四教科で一日二~三時間の授業であった。

二十一年 君が代が国歌となる。天長節、紀元節を制定

大分県教育雑誌が【熱心なる教育者】として、山辺学校教員の宿理政太の業績を称賛している。同雑誌には熱心な教育内容を鮮やかに描きだしている。

◎宿理政太

明治十二年には熊本県阿蘇郡黒瀬村志屋小学校へ赴任していた。明治二十年二月八幡村山辺小学校兼鷹塚小学校訓導(専任教諭)となる。当時二十五名の生徒を児童を有する父兄宅を回り百八十名にした。又有志の寄附により、学校記念祭を開いた。自費にて算盤を買い貧しい生徒に貸したり、自費にて裁縫教師を雇いいれたりした。そして五畝歩の畑を借り農業を教えたり夜学を開くなど近来希に見る教師として県でも取り上げられた。そして今は玖珠郡教育史に詳しく紹介されている。

二十三年 小学校令が改正される 一簡易科が廃止され小学校が、尋常小学校と高等小学校の二種となる。

教育勅語が下賜される。

二十五年 山辺学校簡易科が廃止され、山辺尋常小学校となる。

明治二十六年 山辺尋常小学校授業日数 二十二日 生徒数 百三十八人
鷹塚分教場  授業日数 二十日  生徒数 三十五人


三十年 八月一日 日清戦争が起こる。
明治十二年頃開校した鷹塚簡易学校が廃校となる。
校区としては、馬勢、川底、内匠、弓の木、鳥屋であった。
鳥屋分教場が公然の秘密として存在していた。

三十三年 小学校令公布される。
尋常小学校の義務教育年限が四年となり、高等小学校が 二年、三年、四年の三種となる。

三十四年 山辺尋常小学校火災焼失となる。
一部教室が残り二学年の授業を行い他の学年は錨田の芝居小屋(現在の西野斗年氏宅の所〕で授業をしていた。

三十六年 国定教科書制定

三十七年 日露戦争起こる。

三十八年 現在地へ新校舎建築される。

再建の過程
明治34年 火災で焼失
明治35年 建築委員会設置
明治37年 池ノ尾の奥の山より木材搬出
明治38年 焼失後現在地に新しく建築

yamabe-syusi

三十九年 鳥屋分校認可される。

四十 年 小学校令改正公布さる。
八幡尋常小学校となる。尋常科六年、高等科二~三年、義務教育六年、高等科二年が併設される。農業補修学校を付設し裁縫室も増築した。

四十三年 農業補修学校を廃止し高等科に併合
八幡実業補修学校を付設した。

四十五年 七月三十日 明治天皇崩御

大正  三年 第一次世界大戦が起こる。

十年 六月 玖珠地方大洪水
高等科一、二年の複式を解き、八学級制となる。

十五年 七月、青年訓練所開設

十二月二十五日 大正天皇崩御

昭和  元年 昭和初期時代の教育は、臣民の道の強化、忠君愛国の精神が柱でさくら読本肇国の精神が中心であった。

二年 二月村会において校舎増築等が決定
講堂兼教室、運動場拡張であった。
十一月十日 御大典祝賀当日落成式

三年 七月、改正農業公民学校開校

六年 九月十八日 満州事変が起こる。
大日本国防婦人会結成

七年 四月三日 相撲場建設竣工、運動会に相撲体操登場

十一年 八幡尋常高等小学校 尋常科、八学級
高等科 二学級 四○八人
鳥屋分教場     一学級  十八人

十二年 七月、日華事変起こる。
国民動員令が下る。

十三年 二月十一日 紀元二、六○○年祭を催す。
四月一日 国家総動員法が公布される。
十月、運動場拡張工事竣工
勤労隊を結成し奉仕作業をする。
北校舎落成

十六年 三月一日 国民学校令が公布される。

十二月八日 第二次世界大戦が起こる。

十八年 国民学校令により戦時教材が多くなる。
この頃戦争が激しくなり米は戦場に優先的に送っていたため農家の保有米は足りなくなり弁当は麦飯に梅干や漬物ぐらいであった。おやつも、さつまいもやじゃがいもが多くたまに石垣芋や破れ饅頭があったが、砂糖が無く塩あんであった。ご飯も米が少ないため米にサツマイモを混ぜたものであったり家で取れた小麦で作ったうどん、だんご汁であった。

昭和 十八年 学校では農繁期に謹労奉仕としては稲刈り、麦刈り、稲の苗の虫取りをしていた。農繁期以外は、坑木担ぎ、桑、かっぽの皮はぎをしていた。また運動場を掘り起こして、さつまいもを
植えていた。殆どの男性に招集令状が届き、強制的に戦場に駆り出されていたので、家を守る女性は大変であった。幼い弟妹がいる子供は、その子を背負い守をしながらでなければ遊びに行けなかった。この頃の子供の遊びは、こま回し、ぱっちん、おはじき、おてだま、カルタ、自転車または桶の輪転がし、竹馬、陣取り、かくれんぼ、ビー玉、ケンケンパー、たこ上げ、羽根付き、魚とり、野いちごとり、草野球であった。草野球の道具はボロ切れを硬く丸くして糸を巻いたものがボール、適当な棒切れがバット、布に綿を入れ鍋つかみのように縫い合わせて作ったミットであった。すべての道具を自分で作っていた。
当時何処の家庭でも、牛を飼育していて、だ飼い(牛飼い)を小さい時からさせられていた。「はんぎり」と言って直径約一、三メートル深さ約五十センチの桶に三センチ~五センチに、切った藁と草を入れ熱湯をかけ、糠を混ぜて「だのもんおけ」
(牛の餌いれ)に入れて牛を飼っていた。子供の頃は力がなく藁きりの刃を砥げず藁を切るのに苦労をした。
この頃から戦争が激しくなり、家にいた二十代、三十代の若者は戦争に駆り出され、残された女性は農業と子育て、家族の面倒と想像に絶する苦労をしていたと思う。

十九年 決戦非常措置法に基づく学徒動員実施要綱が公布され、学校に対して「銃後の後援、食糧増産に専念せよ」との指示が出された。またこの頃から疎開が始まった。
この頃は、戦争が激しくなり戦地へ食料を大量に送っていたため食料難となり弁当は麦飯に梅干、漬物ぐらいであった。
夏は草履で学校へ行き、雨降りは後バネで背中が黒くなっていた。農家でありながら米は、割り当てで供出させられ足りずご飯に麦、さつまいもなどをたくさん入れて食べつないでいた。
学校では勤労奉仕を、毎日のようにさせられていた。家でも、学校から帰ると子守りをしながら遊んでいた。
大人の男性は戦争に駆り出されているので、小さい時から家の手伝いをしなければならず、農繁期は遊びにいけなかった。

二十年 八月四日―敵機四機由布院方面より襲来、森機関庫を機銃掃射され、助役等三名死亡、九名が負傷した。
八月六日広島、九日長崎に原爆が投下され多くの犠牲者をだした。
八月十五日―第二次世界大戦終了(敗戦)

昭和二十一年 十一月三日、日本国憲法公布
文部省新日本建設教育方針発表

二十二年 教育基本法、学校教育法が公布さる。

二十四年 六月十日、天皇陛下御巡幸―郡民数千人奉迎

二十六年 八月―職員住宅三棟完成
日米安保条約締結する。
九月―足洗場の新設、高鉄棒の新設
十月―井戸の新設
十一月―村教育委員会発足

二十八年 玖珠地方に集中豪雨があり四日間の総雨量が1,000ミリを超え町全体に甚大な被害をもたらした。
十一月―鳥屋分校改修、瓦葺となる。

二十九年 三月―県下一斉学力調査実施
十一月ピアノ購入―PTA寄贈

三十 年 三月―森町、玖珠町、北山田村、八幡村二町二村の合併により玖珠町となる。
玖珠町立八幡小学校となる。
六月―新校舎落成(二階建て四教室)南校舎老朽の為撤去

三十一年 通知表五段階法採用
二月―北側に宿直室落成、三月―中央校舎撤去
七月運動場拡張工事完了

三十二年 七月新校舎落成(二階建て六教室―前新校舎に併設)
在学児童数五百名を超える

三十三年 四月―学校保健制定、宿直室付属電話を設置
校舎、運動場周辺に植樹

三十四年 女児学童服(上着)制定

三十五年 二月九日 八幡中学校全焼する。

三十七年 三月 教科書無償配布に関する法律公布
十二月 小学校講堂老朽化の為撤去

三十八年 三月―給食室落成 完全給食となる。
七月―講堂兼体育館落成

三十九年 全国一斉学力テスト実施、東京オリンピック開催カラーテレビ放送始まる。

昭和四十年 町内一斉有線放送電話開通
四月―綾垣浄勝寺で十年間開設されていた八幡幼稚園を小学校北校舎の西側一教室に移した。

四十一年 十月―大分国体開催

四十三年 二月―玖珠地方に積雪一メートルを超える大雪が降った。
農業集団電話開通する。

四十七年 昭和四十五年八月に小学校、中学校合同で陳情を続けてきた水泳プールが完成した。当時の町長であった衛藤征士郎は、「要望の主旨は分かるが財政難でどうにもならない」の一点張りであったため建設委員会では、学校林を全部町に寄付する事を条件にプール建設お願いする事にした。その時町長は聞き間違えたのか、「学校林の一部を出してくれるとの事ですので、考えましょう。しかし土地は買えないので、学校の敷地内で考えて欲しい。」と言われ、学校林は残ることになった。

四十八年 四月―特殊学級設置、錨田~平井入り口間の通学路完成

四十九年 三月―学校林に杉、桧を植樹 玄関前の庭園完成

五十一年 上野恵輔君が小一の時、亡くなり本の寄贈があり、上野恵輔文庫つくった。

五十二年 八幡幼稚園新築落成=五十年に総勢約五十名で浜田町長へ幼稚園の建設と、中学校の体育館の建設の陳情に行った。その時町長から、「こんなに大勢で来られたのも初めてだが、一度に二つも出されるのも初めて、どちらか一つでないと受けられん。」と言われた。その後建設委員会で検討し、幼稚園の建設を優先する事にした。しかし土地は地元で確保してくれと言われ、学校の敷地内には余裕は無かった。そこで町有地であった診療所跡地(現山本商店)を候補として考えたが、土地が狭く建設は不可能だった。そのためこの土地を地元の人に高く買ってもらい、安い土地を購入した。今の幼稚園の土地も地主との交渉が、難航したが確保することができた。
七月=八幡小学校百年祭実行委員会発足

五十三年 十二月=八幡小学校開港百年祭が盛会に行なわれた。
記念の校旗の寄贈を受ける。

五十四年 校舎建築委員会発足 子供銀行 郵便局長賞を受ける。

五十七年 三階建鉄筋校舎落成

五十八年 前庭環境整備・門柱設置

五十九年 VTRテレビ設置・講堂兼体育館屋根改装・壁面塗装

六十 年 講堂演壇設置(星野和己氏寄贈)

六十一年 相撲場改築(PTA事業として地区民寄贈)

六十二年 テレビ放映設備一式・電動輪転機一式・すべり台一台・講堂外
窓網設置(松本豊子氏寄贈)

六十三年 鳥屋分校 四月より休校

平成  元年 給食室への渡り廊下新設
国・県指定ボランティア協力校「アルミ缶拾集運動」開始

三年 国・県指定ボランティア協力校「アルミ缶拾集運動」終了
台風十七・十九号により被害にあった講堂の屋根・床改造
講堂への渡り廊下改造、町指定研究校一年次 学力「算数」

四年 百葉箱設置(平成三年度卒業生寄贈)
町指定研究校二年次 学力「算数」発表=十一月
県空き缶等対策協議会指定される。「空き缶回収拠点モデル校」として「アルミ缶回収」活動を展開し、その収益金で町老人福祉センターへ、車椅子二台を贈呈した。

五年 前年に続き、アルミ缶回収活動を展開し、その収益金で八幡公民館へ、車椅子一台を贈呈する。

六年 給食調理場、センターに移行
車椅子五台を阪神地区へ贈呈

七年 「小さな親切運動」より受賞・運動場柱など改修・給食調理室取り壊し。

八年 運動場排水工事及び給食調理場跡整備
「アルミ缶回収」活動の収益金で介護ベットを町福祉センターへ贈呈

九年 県小算研指定研究発表〔十一月〕

十年 「アルミ缶回収」回収の収益金で介護ベットを町福祉センターへ贈呈

十一年 町「特色ある学校」研究指定校となる。

十二年 「水辺の笑学校」川開き(七月)

十三年 「水辺の学校}庭園整備」

十四年 「環境美化教育優秀賞」受賞

十五年 県体育研究指定となる「一年次」・「環境教育知事表彰」受賞
「アルミ缶回収活動」の収益金で、レクレーション用具を八幡地区社会福祉協議会へ寄贈

十六年 県体育研究指定発表(二年次=十一月)・学校林植樹「小六、中三」講堂渡り廊下の床・屋根整備・「環境教育主催者賞」受賞
台風十八号により講堂屋根破損・修理

十七年 ごみゼロおおいたクリーンアップキャンペーン実行委員会会長賞・受賞
学校体育研究優良校・表彰・「アルミ缶回収」活動の収益金を盲導犬育成のために・県盲導犬協会へ寄付

十八年 館内生徒指導連絡協議会委嘱研究校となる。(一年次)
全国児童生徒俳句大会団体入賞

十九年 大分県地域温暖化防止活動推進センター長省・受賞
管内生徒指導連絡協議会委嘱研究発表(二年次)



 



 
八幡地区自治組織運営協議会
〒879-4521 大分県玖珠郡玖珠町大字太田2296-5 八幡の郷サンホール