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 10月30日 八幡人権教育推進協議会は江戸時代の杵築藩による「浅黄半襟逃散(あさぎはんえりちょうさん)一揆」を現地学習しました。
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                       ▲講師の久米忠臣先生

 江戸時代、杵築藩ではききんや災害で藩の財政が苦しくなる中、文化2年(1805年)に被差別部落の民衆に対して「衣類の上着に全員浅黄(うすい水色)の半襟をかけるように」という「お触れ」を杵築藩が出しました。

 当時の農民は地味な色合いの服装でしたので、遠くから見ても目立つ色で、すぐに被差別部落の人であるとわかってしまいます。差別を益々ひどくするこの「お触れ」に対し、被差別部落の人々は猛反対で、抵抗の意思を示すため、他の領地に逃げる行動を起こしました。

 それが、「杵築藩半襟逃散一揆」と呼ばれる事件です。

 169人の人々が、妻や子ども、老人を家に残し、当時の島原藩の領地(現在の豊後高田市)を目指しました。二度と家族に会えないかもしれない、見つかったら重い罰則に課せられるという恐怖と不安を抱えながらも、こんな差別は絶対に許せないという思いで野を越え山を越えて、何日もかけてひそかに島原藩の領内にたどり着きました。他藩の領地に入ったことで、杵築藩の追っ手からは捕まることは有りません。 

 逃げ延びる途中にある「波多方(はだかた)峠」では、自分たちの家族が暮らす家々を遠く眼下に眺めて、涙にくれたことと思われます。

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 ▲「波多方峠」から杵築市街地を望む。遠くには別府湾が見える。

 その後、島原藩と杵築藩の話し合いの結果、101日間の逃亡の後、逃散した者全員及び残った家族の誰もが処罰されることなく、また浅黄半襟着用の強制が無くなり、帰村が許されました。帰り着いたのは大みそかの前日のことであったようです。

 私たち研修の一行は、実際に車で移動し、「波多方峠」で杵築市内を遠くに見ることができ、胸に迫るものを感じました。また、島原藩との境界にある「境石(さかいいし)」も見ました。

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 ▲逃散するとき通ったであろう山道     ▲島原藩と杵築藩の間の境石

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 ▲当時の状況を詳しく説明する帯刀浩至さん   ▲講師を囲んだ今回の研修参加者

 案内をしていただいた杵築史談会会長の久米忠臣先生、杵築市人権教育推進員の帯刀浩至さんのお話から、当時の被差別部落の人々がとった行動をよく知ることができ、感じるものがたくさんありました。

 

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