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 8月30日、八幡自治会館で「八幡の歴史を学ぶ」講演会が開催され、元畑在住の健木榮司さんが元畑「吾清霊社」の歴史やいわれについてお話をしました。
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 健木さんは現在吾清霊社の氏子総代のひとりとして同社のお世話をしていますが、お話の内容から吾清霊社等について深く知識を持たれていると伺えました。

 健木さんのお話は、単に吾清霊社の事ばかりでなく、全国にある神社の成り立ち、玖珠の成り立ち、久留島藩の成り立ち、そして吾清霊社のご祭神である「村上兄弟」、吾清霊社と話を進め、吾清霊社の成り立ちが良くわかる内容でした。

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 全国の至る所でその地域にある岩や大木、川や海、山を崇めたり神話に出てくる神様など祀った神社があるが、その神社のほとんどは、実存したことのない神々が多い。それに対し、菅原道真の太宰府天満宮、徳川家康の日光東照宮、明治天皇の明治神宮など実在した人物も神様として祀られている。吾清霊社も、実在人物である「村上兄弟」が祀られている神社である。

 特に「神社」名でなく、「霊社」名は全国ではほかに無いのではと講師の健木さん。 

 もともと、村上兄弟(兄の四藤六左衛門、弟の四藤与惣右衛門)は近江の国(現在の滋賀県)に生まれ、久留島の森藩が参勤交代のときに山賊に襲われて苦戦していたのを助けたのが縁で、森藩に召し抱えられた。

 兄弟が文武や経営手段に優れていて、藩内で頭角を現し急な出世をすると、在来の家臣たちが妬み、久留島公の毒殺を企て、その罪を兄弟の仕業にする。兄弟は突然の「おとがめ」を受け、藩内の大乗寺で切腹。ところが、藩内に次々に怪事件が起き、陰謀を企てたと思われるものは、発狂するなど次々と変死。人々は村上兄弟の「たたり」と恐れるようになった。

 100年経ち、八代藩主久留島道嘉が村上兄弟切腹の始末を調べたところ、無実であったことが判明。元畑声和山(現在地)に社殿を建て、お祀りをしたところ、「たたり」がぴたっと止まったといわれている。30歳と27歳の若さで無実の罪を着せられ、命を絶たねばならない無念さはどんなであったろうか。

 明治に入り、森藩が無くなったことから、太田の村社となり、大字太田地区の方々が現在管理している。

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 この吾清霊社は、福岡県や県内でも県北、日田方面の人々から信仰が厚く、毎年の秋の大祭ほか年間を通じて、地区外からも多くの方々が訪れているようです。

 今年の「八幡の歴史現地見学会」は10月5日の大祭日に「吾清霊社」を計画していますので、是非参加してください。