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 部落差別や各種の人権差別を学習し差別のない世の中を目指す「八幡地区人権教育推進協議会」は10月30日に熊本県水俣市の水俣病資料館を視察研修いたしました。
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 水俣病は、工場排水中のメチル水銀に汚染された魚や貝などをたくさん食べることによって起こった水銀中毒です。伝染病でもなく、遺伝することもありませんが、体内に入ったメチル水銀は脳などの神経系を侵し、手足のしびれやたくさんの症状のほか胎児にも影響しています。

 水俣病は昭和31年に公式確認され、昭和43年に国が公害病と認めました。

 公式確認当時は、病気の原因がわからず、奇病か、それとも伝染病ではないかと恐れられていました。その後も原因究明に長時間を要したことも有って、水俣病の発生は拡大しましたが、熊本大学などの機関による調査・研究によって原因の確定に至りました。

 水俣病の原因企業である「チッソ株式会社」は大きな賠償責任を負っています。

 水俣湾に堆積した水銀ヘドロのうち、水銀濃度が25ppm以上のものについて、熊本県が14年の歳月と巨額の費用をかけて、一部しゅんせつ一部埋立工事を行い水俣湾のほとんどが埋め立てられています。また「仕切り網」によって湾内と外海とで魚の行き来を防ぎ、湾内の汚染された魚の捕獲等を経て、安全が確認され、現在は仕切り網も撤去しており、他の海域と同様に安全性が保たれるようになっています。きれいな海が再生したのです。

 水俣病が発生した当時、水俣病患者は伝染病や奇病と疑がわれ、近所づきあいを断られるなど大変つらい思いをしたようです。その後、原因が「チッソ」の排水中の水銀であることがはっきりしても、小さな漁村に過ぎなかった水俣が「チッソ」によって県下有数の工業都市として発展することとなったことで、「チッソ」に頼る市民から、患者は裁判や補償で「チッソ」を脅かす存在としてうとまれてきたときもあったようです。

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▲岬の突端に水俣病資料館のある「明神」地区でここからも多くの水俣病患者がでた。現在は、明神地区の右側の海はほとんどが埋め立てられて、陸地になっており、スポーツ公園などで市民の憩いの場となっている。

 あらぬ噂も流されるなど、補償金にまつわる差別や嫌がらせも起きたようです。経済的に依存した「チッソ」が原因であったため、住民間の対立が長くつづき、立場が違う人とは対話が途絶えた程でした。

 「水俣病」という病名によって、水俣市のイメージ低下で結婚や就職差別が生じると懸念した市民から、病名変更運動までも起きたようです。

 しかし、そうした過ちを乗り越え、「対立からは何も生まれない」ということに気づいた行政、市民、被害者は「もやい直し」ということで、対話や催しを重ねながら今は再生に向かって行動しています。

 水俣病資料館の研修では、「語りべ」から、父や祖父が水俣病で大変苦しい思いをしたこと、友達にも出身地区を言えなかったことなど、自分自身の子どものときの体験を話してくれて、最後には、自分自身も差別の心があったと反省を語っていました。

 また、水俣市は水俣病の経験から家庭や事業所で出すごみは、自然を損なうものであってはならないとして、現在資源ごみを21分別するなど環境美化の最先端としてきれいなまちづくりを目指しています。 

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▲水俣病資料館からはすっかりきれいになった海が臨める。

 昭和30年代から水俣病という公害で犠牲になった水俣市、多くの人々に病気の苦しみや疑心暗鬼をおこし、市民が互いに不信を抱いて暗いイメージがあったが、病気の原因を取り除くことや、汚染された海を長い年月と巨額を投じて再生し、逆に今は市民全体で環境美化の最先端をいっていることに深い感銘を受けた研修となりました。